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鳥越俊太郎 ジャーナリストになれた理由は「遊んでた」から

鳥越俊太郎 ジャーナリストになれた理由は「遊んでた」から

J-WAVE日曜夕方の番組「SAISON AMERICAN EXPRESS CARD VINTAGE GARAGE」 (ナビゲーター:ロバート・ハリス)。 10月12日のオンエアでは、ジャーナリストの 鳥越俊太郎さんが登場しました。

今年ジャーナリストとして、49年目となる鳥越さんですが、 新聞記者としてのスタートは意外なところからでした。学生時代は遊んでいたため、 京都大学の文学部には7年もいたという鳥越さん。 もともと、新聞記者になろうとは思っておらず、
友人から「新聞社は成績証明書が不要」という話を聞いて面接を受けたところ、 たまたま通ってしまったとか。しかし、当時は5,000人もの応募の中から採用されたのは、 たった50人ほど。なぜ鳥越さんは採用されたのでしょうか?

「それはね、勉強してなかったから。その代わり、遊んでた。僕は合唱団で歌っていたんです。 それから好奇心があって本はよく読んでいた。そういうバックグラウンドがあったんです。 新聞社というのは、優等生を採るところじゃないんですよね。 世の中の知識・常識など、広い知識がないとやっていけない仕事なので」
(鳥越さん)

こうして、25歳で毎日新聞社に入社した鳥越さん。 35歳くらいまでは上司に言われるがままに仕事をしていたそうですが、 40歳を手前に「このままでいいのか」と
疑問を持つようになったそう。 「新聞記者ってどういう仕事なんだろう」と真面目に考えた結果、自分に投資してもう一度、一からやり直そうと思い 「英語をやろう」とアメリカに行くことを決意したそうです。

「サンデー毎日」編集部に所属していた鳥越さんは、外信部(テヘラン特派員)を
経て 「サンデー毎日」編集長に。退職後は、『ザ・スクープ』『サンデージャングル』でキャスターを務めるなど、 テレビメディアに活動の場を移しました。そんな経験から、鳥越さんは、こう話します。

「結局はなんとかなるもんなんですよ。だから飛び込めばいいので、 悩むことはないと思うんですけど、ただ一つね、大事な事は、やっぱり自分の好きなことでないと続かないですよ。 好きでもなく義務として無理矢理やるのでは、絶対続かないです。 僕は基本的に新聞もテレビも取材をして伝えるという意味では、やり方は違うけれども本質においては同じだろうと思ってたんで、 そういう意味では好きなことだったわけですよね。だから続けられたと思います」

そんな鳥越さんが、生き方の指針としている言葉が、「人間(じんかん)到る処青山(せいざん)あり」。 人間社会には、どこにでも骨を埋める墓(青山)がある、 という意味で、場所を選ばずに、自分が今いるところは、仕事をするために一番良いところだと思い、 「自分がここで骨を埋めてもいい」という気持ちで、一生懸命仕事をする、という言葉なのだそうです。

仕事で迷ったとき、ぼやきたくなったとき、 私たちもこの言葉を思い出して
乗り越えていきたいものですね。

【関連サイト】
「SAISON AMERICAN EXPRESS CARD VINTAGE GARAGE」
オフィシャルサイト https://www.j-wave.co.jp/original/vintagegarage/

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