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被災地の若者が明かす、復興への覚悟「自分の世代を犠牲にしても…」

被災地の若者が明かす、復興への覚悟「自分の世代を犠牲にしても…」

J-WAVEがいま注目するさまざまなトピックをお届けする日曜夜の番組『J-WAVE SELECTION』。毎月第3日曜は、震災復興プログラム『Hitachi Systems HEART TO HEART』(ナビゲーター:重松 清)をお届けしています。3月17日(日)のオンエアでは、4月からこの番組のナビゲーターをバトンタッチされるミュージシャンの藤巻亮太さんを迎え、「ムーブメントを生んだ震災後の出会い」をテーマに考えました。


■2011年から「歌の炊き出し」を続ける

東日本大震災後、被災地の学校を中心にライブを行う「歌の炊き出し」を月1回ペースで続け、熊本地震や西日本豪雨の被災地でも、積極的にボランティア活動をする藤巻さん。それらの活動は、東日本大震災後にプロデューサーの小林武史さんがはじめた、被災地での炊き出し活動に参加したことがきっかけでした。

藤巻:初めての炊き出し活動で石巻市と女川町に行き、そのときに1度だけではなく継続的に被災地に行くことを決意しました。レミオロメン(藤巻さんが在籍するバンド。現在活動休止中)には『3月9日』という曲があり、2011年の3月9日と10日に横浜アリーナでライブをやっていました。そして、同年の3月11日に東日本大震災が発生し、横浜アリーナが避難所になりました。その流れもあり、そこから4月に被災地に入ったときの自分のなかでの衝撃が原点となり、いまの自分がいると感じています。

『Hitachi Systems HEART TO HEART』


■どこかの世代が人生を犠牲に

今回、重松は宮城県石巻市、女川町を取材。そのひとつとして、次世代へと続く未来の水産業のかたちを提案していく若手漁師集団「フィッシャーマンジャパン」の代表理事である阿部勝太さんと、事務局長の長谷川琢也さんを訪れました。

『Hitachi Systems HEART TO HEART』

阿部さんは石巻市十三浜のワカメ漁師。長谷川さんはIT大手ヤフー株式会社と二足のわらじを履きながら働いています。漁業の担い手の育成や、商品開発、アンテナショップの居酒屋経営など、いまや多方面から注目されるフィッシャーマンジャパンは、震災がなければ出会うことのなかった阿部さんと長谷川さんの出会いから生まれました。

阿部さんに、覚悟やビジョン、盟友・長谷川さんに期待することを訊きました。

阿部:これだけの規模の震災があると、極端な話、どこかの世代が人生を犠牲にするような感覚でいかないといけないと思っています。だから、僕らの世代がその役目を担えば、子どもの世代は通常に戻っていく、と。それだけ甚大な被害だった。いま生産者の人数は減り続けています。だからこそ、5年、10年後、その先も見据えて、食べ物の本質自体を全部変えていかないといけません。特に地方の漁師は非常に閉鎖的だったので、水産業と異業種が組めばいちばん問題の解決策になると考えていました。長谷川さんは僕たちの発想にないものをもっている人なので、今後も外の風を持って来てほしいですね。

『Hitachi Systems HEART TO HEART』

一方、長谷川さんは今後の抱負について、こう話します。

長谷川:漁師や魚屋など「やりたい」と思う人を集め、いろいろな人を巻き込み、そのうねりをどう作っていくかが自分の仕事。水産業に携わる人たちが海のすばらしい食べ物を確保してくれている間に、多くの場所を訪れ、いろんな情報を得たり、いろんな仲間を見つけてくることが自分の役割です。5年、10年後は彼(阿部さん)が言っているような世界を作るために、いろんなリリソースを、いろんなところから持ってくることをコツコツやっていきたいと思っています。


■問題意識を自分のなかに発見すること

阿部さんと長谷川さんの取材を終えた重松は、阿部さんの「自分たちの世代が犠牲となり次の世代に託す」という言葉が特に印象的だったと振り返ります。

藤巻:すごく重たい言葉。よほどの覚悟がないとこんな言葉は使えないと思います。
重松:裏返すと、次の世代を信じているということでもあると思います。そういう阿部さんの覚悟に年上の長谷川さんが共鳴した。漁師という世界だからこそ、異業種と組むことが大事だったわけですね。

異業種が出会うことの効果として、藤巻さんは登山家の野口 健さんとの交流を語りました。

『Hitachi Systems HEART TO HEART』

藤巻:僕も30代になったときに、はじめて野口さんとお会いしました。そこから仲良くしていただき、一緒に被災地へも多くまわりました。リアルに生死と向き合って山を登られている野口さんから、問題意識を自分のなかに発見することを学びました。メディアなどで「こういう問題がある」と叫ばれることも大事だけど、実際に自分の足で現場に行って、自分の目で見て、心で感じたときに浮かび上がる問題意識をすごく大事にされている方だと思いました。

この「問題意識を自分のなかに発見すること」が藤巻さんの音楽活動に大きな影響を与えたといいます。

藤巻:僕は音楽業界で日常のことを音楽にしながらも、規模が大きくなればなるほど、自分は音楽を作る役割となり、音楽を届けてくれる仲間がいるなど、産業になっていく。そのなかで、自分は音楽を作る人、ライブで歌う人と役割を担うときに、どこかで音楽業界に対するリアリティーが損なわれていった時期がありました。そのときに「僕は時代の現場で音楽を届けていくんだ」という感覚を取り戻さないといけないと思ったのは、野口さんと出会い「そこに見に行かないと。そこの空気を感じないとダメだ」という現場意識を、異業種の方から受けたことが大きな転機でした。


■震災から生まれた曲『光をあつめて』

藤巻さんの『光をあつめて』という曲は、東日本大震災後に被災地で出会った人との触れ合いから生まれた1曲でした。

藤巻:2011年4月に女川町の避難所へ炊き出しの手伝いに行きました。被災地はすごい状況で、まだ歌なんて歌っていいタイミングかわからなかったけど、避難所で僕に気付いてくれた人から「1曲歌ってほしい」と言われて、『3月9日』を歌いました。そのときに「ここで終わってはいけない。月に1回は訪れて何かしら自分は関わっていこう」と決めました。それから被災地に行くたびに「これ、いつ復興するんだろう」ということが2011年のリアリティーだったけど、そこからいろいろな人と話をするなかで、今すぐに明確な答えは出ていなかったとしても、それぞれの人がそれぞれの役割をしていくことが大事だと学びました。その思いを歌にした曲が『光をあつめて』です。


■現場を五感を通して見て伝える

2011年以降、積極的にボランティア活動をしてきた藤巻さん。この期間を振り返り「たくさんのことを感じた」とその思いを語ります。

藤巻:自然の大きな力によって、こんなにも人間の生活がコントロールできないことがあるのか。それによって、人々の人生が大きく変わっていく。直接沿岸地域にいなかった僕たちでさえ、地続きの問題として感じました。実際に現場で五感を通して見たときに、それをどれだけ現場に足を運べない人に伝えられるか、その使命を感じています。

重松の取材や藤巻さんの話から、震災後の出会いから生まれたムーブメントの大切さを学ぶ時間となりました。

4月から藤巻さんが『Hitachi Systems HEART TO HEART』のナビゲーターを務めます。これからも一緒に震災後の未来を考えていきましょう。

【番組情報】
番組名:『Hitachi Systems HEART TO HEART』
放送日時:毎月第3日曜 22時-22時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/special/hearttoheart/

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